【震災関連】 ㈲有住建設
 
施工職人の不足が顕著 被災地で昼夜問わず復旧に取り組む

 

  仙台市若林区の㈲有住建設は昭和35年に設立。現在は二代目の有住新也社長(45)が会社を引き継いでいる。
同社は在来軸組工法や高断熱・高気密の高性能住宅を案件ごとに異なる仕様で手掛けるほか、リフォームも行う地場の工務店だ。職人を含む3人体制で、年間の新築着工は約3棟。顧客はOB客とその紹介によるものがほとんどだという。


 有住社長は「住まいと環境東北フォーラム」「健康住宅をつくる会みやぎ」「100万ボルト南の会」の会員にもなっており、日々、健康に暮らせる住宅の知見を広めている。しかし3月11日を境に、すべてが一変した。

 

 
僅かなタイミングで
津波の被害を免れた
 

 

 東日本大震災が起きた3月11日午後、有住社長は同市宮城野区にある顧客の家にいた。津波が押し寄せた仙台港からほど近い場所だった。「サッシの取り付けを終えて、お客さんに取扱いの説明をしていた時に揺れました」。地震は轟音を伴ってやってきた。あまりの激しさに、縦揺れか横揺れすら分からなかったという。

 

 「お客さんの家のなかにいましたが、周りの状況が見たくてすぐ外に出ました」。瓦が落ちる音や家具が倒れる音が響くなか、今の家と昔の家の揺れ方の違いをじっくり目視できたほど、揺れは一向に収まらなかった。「本当に半端ないとしか言いようがなく、とにかく揺れは強くて時間も長かった。やはり新しい家の方が持ちは良かった」。 

 

 その後、有住社長は別の顧客の家にも顔を出していた。一軒目よりも、さらに海に近い場所だった。有住社長がその家を後にした約10分後、その顧客は遠くに黒い壁を見たという。それは車や家を飲み込みながら向かってくる大津波だった。「そのお宅はギリギリ津波の被害を免れました。後で話を聞いたら、お客さんはわたしが津波に飲まれたと思っていたみたいです」。

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